~ 井筒屋カフェ 喫茶去 ~
懐かしい和空間で癒しのひとときを。
笠間焼の器、地元の旬の味…笠間の魅力を体感できるカフェです。
カフェ営業時間 … 10:00~15:00
🍵MENU🍵
🍵喫茶去(きっさこ)について🍵
「喫茶去」は茶席の禅語の中で最もよく知られた言葉でしょう。
「去」は意味を強める助辞。全体で「お茶をおあがりなさい」といった程度の意味です。
中国唐代の老禅匠、趙州従諗禅師は「口唇皮上に光を放つ」と評される程、日常茶飯の言葉を豊かに絶妙に用いて禅を説いた禅の巨匠です。
その趙州禅師の語録の中に「喫茶去」の話があります。
あるとき、趙州禅師がその日来山修行増のうちの一人に「曾て此間に到るや(あんたはかつてここに来たことがおありかな)」と尋ね、
僧が「曾て到らず(ありません)」と答えると「喫茶去」とお茶を勧めました。
もう一人の僧に同じことを尋ねると今度は「曾て到る(あります)」と答えましたが、その僧にも禅師は「喫茶去」とお茶を勧めました。
そばにいた院主が「初めて来た者に出す茶はいいとしても、以前来たことがある者にも同じ様にお茶を勧めたのはなぜですか?」と尋ねた
ところ、禅師は突然「院主さん!」と呼び、思わず「はい」と答えた院主にやはり禅師は「喫茶去」とお茶を勧めたのです。
「趙州喫茶去」という禅の公案にもなっているこの話の真意は、禅の修行を長年積んでこそ体得できるものです。
ここで私たちが学ぶべきは、どんな者にも「お茶をおあがり」とさらりと言った趙州禅師のさわやかな境地でしょう。
趙州禅師が差し出した一碗の茶の有難さは、私たちの日常を振り返ってみたとき、しみじみと感じられます。
客人の貴賤・貧富・賢愚・老若職業などにとらわれることなく、さりげなく出された一碗の茶。
たとえ茶道具は粗末で、茶や菓子は十分なものでなくとも、真心こめて出された一碗の茶。
お茶を出すものとして、あるいはいただくものとして、知るべき本当の茶の心が「喫茶去ーお茶をおあがり」という短い言葉の中に
込められているのです。
(黄檗宗少林山達磨寺ホームページ内「禅語を味わう」より引用させていただきました)